2017年1月24日火曜日

自然食品店の店長になった

自然食品店の店長は初めてで、なにをどうすればいいのかわからないということで、東京の自然食品店のグループに研修に行くことになった。
一泊二日の出張だった。

1泊2日ぐらいの研修で自然食品店を運営できるようになるのか、と思いながら東京へと旅立った。
東京についてからわかったのだが、いくつかの自然食品店をリードしている人物がいて、その人の眼鏡にかなうかどうかの試験だったようだ。
だがその人物は私がいくつかの店を回っている内に現れなかった。私が帰る少し前に、小さなひげずらの男が弟子を従えて現れた。

その時は何がなんやらわからなかったが、その人物は銀河の帝王だとほかの人たちが言っていた。
宇宙語を話したり、宙に浮くことができるという話だった。

私は何も特別なものを感じなかった。
自然食品の知識を勉強に来たのにいきなり方向性が違うのではないかと失望した。

余談だが、数ヶ月後にそのグループの崩壊が待っていた。
実は私がきっかけを作ってしまった。

自然食品店には少し変わった人がやってくるもので、いきなり宗教家に除霊をしてもらっている人が現れたり、神と話をしているとか、髪の毛を分析して健康をチェックする人などがやってくる。
どれもイマイチ私は興味を持つことができなかった。
どの人たちもパワーと知識がお粗末だった。
その時まで、私はその類の能力など微塵もなかったにもかかわらず、彼らのいうことと、見せるパワーに興味を感じなかった。何故ならば私もすぐにできたからだ。

その中で霊が見える若い女性がやってきて、私には修行僧が近づこうとしていると言われた。
同じ人が私に記号のような文字文明から信号が来ていると言われたことがあった。
同じ人が私への別の世界からの伝言を伝えてくれたこともあった。
若い鍼灸師の女性で方位磁石を置くと北がその人に付いて動いていた。
はじめて感じるようなパワーがあった。

その人は私に伝言を伝えてから、なぜか霊が見えなくなり、能力が落ちて、伝言もなくなってしまった。

千日行をしたお坊さんで超能力鍼灸師から会社の社長をしてくれと依頼されたこともあった。
だが、なぜか私には向かないと感じた。さらに、超能者も知識もパワーも興味を持てるようなものではなかった。
若い時にはいずれ会社を興したいと考えていたが、人の力でなるものではないと思っていたので
丁重に断った。

仕入れ先の人から日本の古代文字の話を聞かされた。
カタカムナ文字というもので、難解なものだと聞かされた。
紹介者がいないと買えないと言われた。
何となく興味がわいて購入した。
カタカムナ文字のおかげで扉が開いたのかもしれない、
今はカタカムナ文字を通り過ぎてしまったが、古代文字が狭き門だったようだ。

狭き門から入った世界はジェットコースターのように激しい揺れの連続で心身ともに疲れ果ててしまった。

狭き門を通るとそこは別世界で、肉体のない世界だった。
その世界は妥協のない、真の姿の世界だった。
ごまかしが許されない世界だった。




2017年1月23日月曜日

二夜連続の金縛り

社会人になって12年、会社を辞めた。
30代半ばだった。
それまでは海外関係の仕事をしていた。
当然だが、駐在、出張が多かった。
海外での食事は困ることはなかったが、なぜか30歳を過ぎたころから、だんだんと海外へ行くのが嫌になり、食べ物に拒否反応がでるようになっていた。

東京への転勤を機に会社を辞めることにした。
日本人として日本を知らないことにいら立ちを感じはじめていたこともある。

失業保険をもらいながら毎日自分探しをした。

突然夜中に金縛りになった。
初めての体験でうれしかった。
これで霊を見れるようになるかもしれないと喜んだ。
金縛りは二日連続だった。
世間で言われるように身動きできない。
指一本も動かせない。
眼球だけが機能していて、周りをうかがうことができた。
周りには何となく人の気配がして、わたしを取り囲みながらのぞき込んでいるように感じた。

怖いという感覚はなかった。

かすかに声が聞こえたような気がした。
遠くのほうでひそひそ話をしているような声だった。
もちろん内容は聞き取れなかった。

初めての金縛りから数日が過ぎたころだった。
久しぶりに親類から電話があった。
ある商品の説明会に誘われた。
濃縮微生物エキスの説明会だった。
説明会の会場で会った人と急接近することになんり、その商品を扱う会社を始めることになった。
私は何が何だかわからないうちに取締役になっていた。
ひと月が過ぎたころなんだか違うような気がして辞めてしまった。
すると今度はその商品の総販売元の会社の自然食品店の店長になっていた。

今まで海外との取引しかしてこなかった私はまったくの門外漢だった。
私は激流に浮かぶゴムボートに乗っている一人の男に過ぎないのかもしれないと感じていた。

ゴムボートは沈まないがよく揺れる乗り物だった。

2017年1月20日金曜日

新しい研究会

新しい研究会が今月から始まった。
スカイプを使用した研究会である。

一人を除けば面識がない人たちである。
だが、不思議と違和感がない、古い友人のように感じる。
さらに、四人ともとても似たようなエネルギーの質をしている。
初めて研究会に参加する人にしては綺麗である。
今まで彼らなりに苦労を重ねてきたのだと理解できる。

肉体と意識、が別の生命だと理解できれば異次元探訪は早い段階でできるようになると観じている。

各人それぞれ進化のターニングポイントが異なるため、どのタイミングでターニングポイントにたどり着くのか、その方法を早く見つけていきたい。


彼らは先輩たちとお同じように、優秀な異次元探訪者になるはずである。

2017年1月18日水曜日

インド人女性と異界の生命

日本に生まれ育ったインド人の女性がいた。
彼女はアメリカ人と結婚して神戸に住んでいた。
最初の商品のネーミングをさせてほしいという申し入れがあったので、なんとなく受け入れた。私が開発した商品に他人のネーミングを快く受け入れた。その時は、単純に私の周りにいる異界の生命たちが動かしているのだと思って、深く考えなかった。
その後、私と二人だけで話がしたいという伝言を受け取った。

どのくらいの日にちが経過したのか今は思い出せないが、家族が経営する大きなインド料理店に招かれた後、数日して住まいを訪問することになった。

神戸の三宮駅から歩いていけるとても便利な場所にある自宅を訪ねた。広いリビングの隣にある2帖ほどの小さな部屋に案内された。その部屋にはサイババの写真があった。
そのころ日本でブームになっていたサイババとは容姿が大きく違うので誰ですかと聞こうとすると、彼女はそれは一代前のサイババの写真ですと言った。

テレビなどで見るサイババとは、大きく違って、先代は痩せて精悍な顔立ちだった。
難行苦行で鍛え上げた肉体と目の輝きがあった。

前のサイババが好きだったと彼女はいった。
私はサイババには興味がなかったので、そこはすぐに終わり、広いリビングに向かい合って座った。
向かい合った二人の距離は4-5Mくらいあったと覚えている。

少し話をしていると、彼女の頭上に直径1Mくらいの異界が現れた。
その異界にイエスの聖母のような姿をした女性が現れ、続けてイエスのような姿をした男性が現れた。

私はそこまではすごく冷静で、無感動だった。
が次の瞬間、地球の生命とは明らかに違う生命が現れて少し驚いた。

私は鈍いせいかあまり驚かないたちのようなのだが、人間ではない異界の生命の姿には少し動揺した。
続けて、不思議な姿の異界の生命を見つめていると、私の何かがその中に引っ張られているように感じた。
私は驚いて、頭を振ってそれを止めた。

すると彼女は嫌いですか? 
意味深なことを言ってほほ笑んだ。
彼女の目的はこれを見せることだったようだ。
好奇心はあったが、日も暮れてきたので失礼することにした。
今ならじっくりと異界のことについて話をしたり、異界の生命に関して突っ込んだ話ができたかもしれない。

数年後に伝え聞くところによると阪神淡路大震災後にアメリカに移住したと聞いた。

彼女の目的はなんだったのかと考えることが時々ある。今ならば色々な意味で対応できるので、機会があれば再会して見たいと思っている。

とにかくオーランドで異界の生命と遭遇してからはとても忙しい日々を送ることになったが、それは肉体だけの話ではなかった。
黄金のマスクの男性と銀のマスクの女性も現れたり、ヘラクレスのような肉体を持った大きな男性も現れた。

会社は周りの人たちに振り回されるようになっていったが、何とか運営できていた。

会社が始まってすぐに異界の生命は仲間の一人を通じて私に話しかけるようになった。
好奇心いっぱいの私は生命、宇宙、物質、死後世界、異次元について質問ばかりしていた。

私は会社に関係ないことばかりに興味を持ち、異次元の生命たちに興味を持つようになっていた。
そのころから会社は少しおかしな方向へ進み出した。

私は他人を通じての会話ではなく異界の生命との直接話ができるようになりたかった。
そのように伝えると直ぐにできるようになった。

直接異界の生命と話をするようになった頃だった、会社の近くに借りた部屋の広いベランダから外を眺めていると、雲ひとつない青空の中から白く輝く人型の背の高い異界の生命がゆっくりと歩くようにして私のいる部屋に入ってきた。

部屋に入ると消えた。

異界の生命の姿を間近で見たのはその時までに4回ほどあった。
その時から、それまで毎日のように話をしている異界の生命の様子が変化した。

私を大阪から遠くへ連れ出そうとしているのを感じた。私は自分を失い彼らの思惑通りに翻弄されていた。

しばらくして大震災が起こった。

激震だった阪神間に事務所があり被災した。
幸いに怪我はなく、事務所も無事だったが、周辺が機能していないので、一時避難して営業を再開する必要があった。

その後しばらくして会社を長野県に移したが、数か月後に私は別の異界の生命集団と共に大阪に帰ることになった。


それまでに会話していた異界の生命たちに感じていた違和感の意味を知ることになった。

2017年1月11日水曜日

米国、フロリダ州、オーランドのホテル

20数年前、阪神淡路大震災の14か月前だった。

私は自分で開発を始めた記憶水を事業化しようと考え始めていた。
そんな時にアメリカ合衆国、フロリダ州、オーランドに人から頼まれて仕事で行くことになった。
海外は慣れていたが、オーランドは初めてだった。

深夜についてホリデイインにチェックインした。
シャワー後にベッドに仰向けになって高い天井を眺めていると、5人の異界の生命が天井を超えて私を見下ろすように姿を現した。

瞬きの間に静かに姿を現したのようだ。
私は少し驚いたが、なんとなく妙に冷静で彼らを右から順番に分析するように見た。
彼らは明らかに私を知っているような表情で見ていた。
10年前から気配は感じていたのでようやく姿を現した、と感じていた。
  
右側三人は明かにギリシャ風の白いドレープ調の服をまといギリシャ人のような顔だちをしていた。
古代ギリシャ時代のドラマをみると必ずでてくる服装である。
4人目は古代の北東アジア風の皇帝が着るような立派な服に帽子をかぶっていた。

帽子の上部は平らな四角形で、それぞれの角には房がぶら下がっていた。
目が吊り上がり怒っているように私を睨んでいた。
5人目は近代の軍服のよう服を着て帽子をかぶっていたが顔は暗くてはっきり見えなかった。

5人は2、3分くらいの間、私に姿を見せてつけて、私の瞬きの間に消えていった。

日本に帰ると記憶水の事業化は一気に加速して、数か月後には会社を立ち上げることになった。


帰国するといろいろな人が私の作った記憶水に興味を持ち、事業に参加する人、支援をする人、協力者になる人が次々に現れた。

 暗黒エネルギー世界、人は宇宙と言ったり、異次元と言ったりしていますが、正しくはダークエナジー(暗黒エネルギー)の中にダークマター(暗黒物質)がある世界になります 暗黒物質の中には独自のエネルギー波長を持つ無数の物質情報、生命意識情報が存在しています 生命意識情報は全ての生命情報...