本題を説明するには異次元と物質・生命の関係を説明する必要があると考えのでまずその点から始めることにする。
私も幽体離脱は随分昔の初期に経験しているが、意識と脳が不安定だった頃の話である。そのときにはわからなかったが異次元がどのようなところなのかを知るに従い理解できるようになってきた。
だからと言って物理的に説明するのは無理な話である。今の最先端お科学者も苦労しているようだ。
エネルギーを閉じ込めた物質・生命の世界と次元という幕を境にして存在する別の次元(異次元という言う)はエネルギーと情報の世界で、正反の関係でありる。
エネルギーと情報だけが次元の膜を行き来できるのである。
お互いが増幅する存在で、物質、生命の世界は別の次元からのエネルギーと情報のたゆまない供給により成り立っている。
物質と生命は異次元からのエネルギーと情報が永遠に補給される契約だが、それを取り込む能力が低下することにより、形、生命体を維持できなくなり消滅する。
異次元は生命にエネルギーと情報を配給しているが、異次元は宇宙を生み出すほどの巨大なエネルギーと情報を有している。
異次元は空間ではない、だから時間もない。
だが、曖昧な位置関係はある。
生命の肉体と一体化している意識とエネルギー秩序は次元の膜に張り付いている。
幽体離脱というのは、脳と意識が不安定な状態になり、脳側と膜側に分離した状態で、概ね肉体側を見ている現象である。
それに比べると異次元探訪は次元の膜をはるかに超えて死後世界に行ったり、さらに地球の死後世界を超えた別の銀河の死後世界に行って、そこに生きる生命意識たちと交流することである。
異次元には時間がなり、だから、現在、過去、未来が同時に存在する。
時間は肉体がある間のことで、意識だけになれば時間の経過はなくなる。
未来も過去も全て現在になる。
意識だけになるとその力で自在に自分の世界を作ることができる。
自分の世界を持っている人の意識はいいところだが、そうでない人は寂しいことになるのかもしれない。
心を豊かにするとは死後も異次元に残る意識を豊かにすることである。
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