2016年10月24日月曜日

我々の異次元探訪は幽体離脱とは違うもの

本題を説明するには異次元と物質・生命の関係を説明する必要があると考えのでまずその点から始めることにする。

私も幽体離脱は随分昔の初期に経験しているが、意識と脳が不安定だった頃の話である。そのときにはわからなかったが異次元がどのようなところなのかを知るに従い理解できるようになってきた。
だからと言って物理的に説明するのは無理な話である。今の最先端お科学者も苦労しているようだ。

エネルギーを閉じ込めた物質・生命の世界と次元という幕を境にして存在する別の次元(異次元という言う)はエネルギーと情報の世界で、正反の関係でありる。
エネルギーと情報だけが次元の膜を行き来できるのである。

お互いが増幅する存在で、物質、生命の世界は別の次元からのエネルギーと情報のたゆまない供給により成り立っている。

物質と生命は異次元からのエネルギーと情報が永遠に補給される契約だが、それを取り込む能力が低下することにより、形、生命体を維持できなくなり消滅する。


異次元は生命にエネルギーと情報を配給しているが、異次元は宇宙を生み出すほどの巨大なエネルギーと情報を有している。

異次元は空間ではない、だから時間もない。
だが、曖昧な位置関係はある。

生命の肉体と一体化している意識とエネルギー秩序は次元の膜に張り付いている。

幽体離脱というのは、脳と意識が不安定な状態になり、脳側と膜側に分離した状態で、概ね肉体側を見ている現象である。

それに比べると異次元探訪は次元の膜をはるかに超えて死後世界に行ったり、さらに地球の死後世界を超えた別の銀河の死後世界に行って、そこに生きる生命意識たちと交流することである。

異次元には時間がなり、だから、現在、過去、未来が同時に存在する。
時間は肉体がある間のことで、意識だけになれば時間の経過はなくなる。
未来も過去も全て現在になる。
意識だけになるとその力で自在に自分の世界を作ることができる。
自分の世界を持っている人の意識はいいところだが、そうでない人は寂しいことになるのかもしれない。

心を豊かにするとは死後も異次元に残る意識を豊かにすることである。

自分の世界がどのようなところなのか、早いうちに見ておくと今後の人生に役立つことは間違いない。



2016年10月16日日曜日

銀河鉄道の夜について考えてみた

天文学者の間で人気のある宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」について考えてみた。
私も青空文庫で読ませていただいた。

銀河鉄道は一日で10万光年の銀河を端から端に旅をするものである。
今の人間の科学ではとても考えられない速さで移動していることになる。
すなわち不可能なのである。

銀河鉄道の中の登場人物もまた、車中から車外に瞬間移動している。
この点も不可能なのである。

科学者はワームホールを利用するれば銀河を一日で移動できるかもしれないと述べている。

肉体がある世界を通して考えればとても無理なのだが、カムカエル研究会ではいつもやっていて、常に異次元探訪をしている。

異次元探訪は肉体で行うものではなく人間の意識で行うものである。
意識はもともと異次元に誕生して成長しているので、簡単にできることである。

意識が生きる異次元には時間も空間もない。
だからパワーとイメージ力があれば行きたいところに瞬間移動できるのである。
銀河だけでなく、別の銀河へも探訪できるのである。
銀河の場合は瞬間ではなく、ワームホールのようなトンネルを作り出してどんどん別の銀河に移動できるのである。
そして、いろいろな星、生命とも交流が可能なのである。

銀河鉄道の夜は異次元での体験を書いたものなのである。

宮沢賢治の小説には異次元での体験をベースにした話が多く出てくるようである。
研究会にも宮沢賢治以上の異次元探訪者がいる。

意識を肉体の世界だけに閉じ込めておくのは資源の無駄であり悲しいことだと言える。
生命は肉体ではなく意識エネルギーである。
生命の可能性を肉体の中に閉じ込めておくのは生命に対する冒とくだと言えるのである。
自由で膨大な異次元の世界に生命意識を解はなさなくては人間の次のレベルへの成長はできないのである。


その時はすでに始まっている。

 暗黒エネルギー世界、人は宇宙と言ったり、異次元と言ったりしていますが、正しくはダークエナジー(暗黒エネルギー)の中にダークマター(暗黒物質)がある世界になります 暗黒物質の中には独自のエネルギー波長を持つ無数の物質情報、生命意識情報が存在しています 生命意識情報は全ての生命情報...