2016年7月17日日曜日

瞑想という行為について考えてみた

瞑想とは、
宇宙と一体化することなのか、
情報がたたみ込まれた世界との一体化なのか、
超自然的な叡智との交流なのか、
己の潜在意識との交流なのか、

どれも曖昧であり、目的も目的地も曖昧だと言える。

潜在意意識と言われるものはどこにもない。
肉体の中に隠れているわけでもない。
全ての情報と意識は、別の次元にあり、潜在しているのではない。
だから意識が宇宙と一体化することなどありえない。

異次元は宇宙に情報とエネルギーを送り出している世界であり、その異次元の中にいることを
を感じることで宇宙と一体化したと感じのである。
情報が蓄積している異次元には無数の生命の情報がある。
今生きている人間の意識情報も異次元にある。

異次元の中にいると感じて元人間の意識情報と交流すれば過去の情報に触れることができる。

意味のわからない瞑想ではなく、目的に応じて行う意識活動こそ意味があり、己の意識の成長を促し、死後を楽しむことにつながっていく。


それもこれも自分の意識を知り、変化させていくことがまず必要になる。

2016年7月16日土曜日

死をどのようにとらえるかで死後がきまる


死は無になる、と考えるのは寂しい死後になる。

死後は無になると考えている人でも、死後はある。

だが、どのような死後になるのかを知らないで死ぬのは、無限の宇宙に一人乗りの宇宙船に乗って打つ出されると同じである。



死後世界は時間のない世界である。



気がつけば、まわりは氷だらけで生き物はどこにも見えない世界だとすればどうだろうか。

また、戦場のような紛争地帯にいたとしたらどうだろうか。

お互いが憎しみにあふれている元の人間ばかりが集う世界かもしれない。

どこに行くのはわからないということはどこに行くのかわからないのである。



自分で行く場所を知った上で死後を迎えたい。



たとえ話が極端な世界になってしまったが、実際一人で光のない死後世界を彷徨っている元人間いる、会ったことがある。

また、同じ事を進歩することなく繰り返している元人間ばかりが集まっている世界もある。



あなたの意識の世界の中にある世界があなたの世界になるが、意識の中のどの部分が死後世界になるのか、は死んでみないとわからない。

あなたが今快適な意識世界に生きていれば、他人には理解できなくても、死後はたぶんあなたにとって後悔のない快適な死後世界だといえる。死後世界は総ての記憶情報が残る世界だから、ごまかしのきかない過酷な記憶の世界になる。



自分がどのようなところに行けるのか、生きている間に体験してみたいと考えることは間違ったことだろうか、それは自分探しのたびになると思うのだが、、、。



総ての人間がいずれ死をむかえるが、総ての人がそれまでに自分の行き先を確かめておくことは意義のあることではないだろうか。


 暗黒エネルギー世界、人は宇宙と言ったり、異次元と言ったりしていますが、正しくはダークエナジー(暗黒エネルギー)の中にダークマター(暗黒物質)がある世界になります 暗黒物質の中には独自のエネルギー波長を持つ無数の物質情報、生命意識情報が存在しています 生命意識情報は全ての生命情報...